日本はIT後進国と揶揄されることが昨今非常に多く感じるようになりました。
Twitterや様々なニュースでも日本からGAFAのような企業が生まれないという問題点が話題となり、その度に様々な議論や意見が展開されています。
私は、ITエンジニアとして大企業、大手SIerと仕事をし、ITベンチャーを立ち上げる事となった現在に至るまで、様々な角度からIT業界を見てきました。
その中で感じたITエンジニアとしての違和感と本来のあるべき姿について少し考察してみたいと思います。
まず、世界の中でITに強い国と言えば誰でもアメリカを上げるでしょう。
スマートフォン市場やSNSに詳しい方はもしかしたら中国と答える方もいると思います。
日本のITといえば…特に日本が自慢できるようなITの代名詞と呼べるものは無いように感じます。
ちなみに最近ホットなワードとしてIoTがありますが、ITとは全く別の概念です。
IoTはInternet of Thingsの略で、『何か形のあるモノ(例えば電球だったり、ロボット掃除機だったりエアコンだったり)』がWiFiや有線LANケーブルを通じてインターネットに接続し、通信や制御が出来ることを指します。
ITはInformation Technologyの略で、コンピューターやプログラム、それらを基とする様々なインターネット経由のサービスを提供する技術そのもののことを指します。
さて、なぜこれほどまでに世界と日本の間でIT分野の差がついてしまっているのか考えてみます。
アメリカと日本のIT企業の生い立ちと成長過程について
アメリカの場合
アメリカのITビジネスは基本的にベンチャー主導で成長してきた歴史があります。
MicrosoftやAppleなど全てベンチャー企業からのスタートでした。
映画『スティーブ・ジョブズ』では友達の家のガレージでAppleを起業した様子が描かれていますね。
起業といえば、アメリカでは野心のある起業家が自分自身や身内、知り合いなどから資金を集め、ベンチャー企業を立ち上げます。
ある程度の段階でベンチャーキャピタルと呼ばれる、『ベンチャー企業に出資してそのリターンで儲ける会社』が金銭的なバックアップをし、企業の規模を大きくします。
当然ですが、アメリカの会社は株主こそが最強であり至高の存在であるという前提が存在しているため(資本主義とはそういうものですね)、利益率の高いビジネスモデルを持っている会社にしか投資しません。
MicrosoftはWindowsというOSのライセンス料で売上を上げていますし、FacebookはSNSを運用する上での広告収入で成り立っています。
どちらにせよ、人がいれば儲かるというビジネスではなく、仕組みそのものに価値があるビジネスを選んで投資します。
つまり、それらのビジネスを作ることが出来るITエンジニアは、株主からとても高い評価を受け、様々なオファーのもとに高額の報酬を提示されることも珍しくありません。
わかりやすい話、ITエンジニア業というのは国レベルで見ても実力主義であることが分かります。
日本の場合
日本のITビジネスは国家主導(厳密には官僚主導)で作られたものです。
IT産業育成のためという大義名分で海外のIT企業を日本から締め出し、日本の数社から競争もなく平等にIT基盤を構築するような形で調達するのが日本のITの初動でした。
皆さんの中で日本でITを初めて感じたものってなんでしょう?
体感的にガラケーという言葉がしっくり来るのでは無いでしょうか?
ちょうどそれらが初動でした。
つまり、ITについて特に努力をする必要もなく、高度経済成長にかこつける形でIT産業がスタートするわけですね。
名だたる日本の大企業がITを手動する形になるわけです。
そしてこのような形を踏襲したIT業界構造こそが、実は今様々な問題を抱えているのです。
その1つにITシステムやソフトウェアが高すぎるというのがあります。
なぜソフトウェアはこんなにも高価なの?
お客様とお話をして良く耳にするのが、『ソフトウェアは高い』という言葉です。
なぜソフトウェアは高いと思うのでしょうか?
例えば、カレーライスをお店で注文するケースを考えましょう。
皆さんはカレーライスにいくらくらい出せますか?
賛否ありますが、大体700円~1200円くらいの幅ではないでしょうか?
どんな人であれ、一般的なカレーライスに10万円を払う人はいないと思います。
さて、その自らが納得出来る価格は一体何から導き出されているか考えたことはありますか?
カレーの場合は皆さんの考える通りの答えだと思います。
『自分がスーパーでこのカレーに入っている食材を買うと300円~500円くらいだろうな。そこに人件費とか乗せるとする。時給1000円のアルバイトが10分で作るとして300円くらい。店舗の維持費はわからないけどいくらか乗ってると思うから300円として1100円くらいかな。少し高い気もするけど、まぁ妥当だね。』
こんな風に雑に考えても妥当な価格というのは理解できます。
ではITシステムなどのソフトウェアは一体いくらの価格が適正なのか、正直全く分かりませんよね?
どのようにしてIT会社が見積もりを作っているのかズバリお答えします。
答えは非常に簡単で、その作りたいものを作るときにエンジニアがどれだけの時間考えてプログラムに落とし込みが出来るかというコストの逆算から行っています。
似たイメージだと本がそれに近いかもしれませんね。
以下は私が考える本の文章に対する金額イメージです。
1冊1000円の本の10%が著者に入る印税だとしましょう。
では、本に書かれている文章の価値はいくらでしょうか?
100円ですか?
答えは売れた冊数で計算すれば良いと思います。
1万部売れたのであれば1万人の人に評価されたということ。
1万✕100円/1冊 = 100万
つまり100万円です。
この本の文章の価値は100万円ということになりますね。
さて、ここまでの流れで私がお話したいことは、プログラムも同様の考え方で価格が決まるということです。
あるお客様に弊社がプログラムを納品し、300万円の人件費を節約できたとしましょう。
そのシステムを弊社が100万で制作できたとしたらとても価値のあるシステムですよね?
200万円も得しました。
逆に、システムで全く人件費が節約出来なかったら?
覚える時間ばかりかかってしまったら?
お金を請求したくなりますよね?
要はそういうことなんです。
『いくらの金額が適正ですか?』というお客様に対して実はIT企業は答えを持たないわけです。
上述したとおり、お客様のやりたいことに対しての実現にかかる技術費の対価であり、それに伴う十分な効果が期待できるかどうかという点は実はお客様に帰属してしまうんですね。
なので、IT企業に仕事を依頼される際は、厳密なやりたいことの定義が必ず必要となります。
お客様が『厳密なやりたいことの定義』をされないとなると『高い』という、感覚と価格のミスマッチが起きてしまうんですね。
これらの理由から、ITを導入したくない企業が多く、またエンジニアもお客様に対しての教育を嫌うという負の連鎖が、IT後進国として巷で言われるまでになった原因だと考えています。
ソフトウェアの価格を上昇させるITゼネコンという構造
その他にも価格が上昇してしまう理由があります。
ITゼネコンという構造です。
建築業界ではゼネコンという言葉は割と馴染みがあると思いますが、IT業界にもそれに似た構造があります。
大企業が仕事を受注し、下請け孫請という感じで仕事を投げていくわけですね。
自動車などの製造業にも似たような構造が存在しますが、あちらはサプライチェーンという形式で、サプライヤーと呼ばれるそれぞれ異なる部品を作っている会社が下に連なっているイメージです。
自動車会社の大手は部品を調達し自社の工場で組み立てて販売しているわけですね。
さて、このITゼネコンという構造が最も金額を高くしている諸悪の根源です。
そして、多くの場合多額のマージンを取得するのは元請けである大企業であり、最終的にソフトウェアを作っているエンジニアは最底辺という事で実際には物凄く安く作れるものが何百万という金額になってしまうんです。
ここで最も重要なことはITゼネコンという構造の本質を否定したいということではなく、多額のマージンを取得している大企業は本質的に金額に見合う付加価値を提供できているのか?
という観点です。
労働生産性や付加価値率は表面的な経理による算数でしかなく、その企業の持つ本質的な付加価値を計算したものではありません。
売上を計算式に用いる以上、当然ですが、売上の高い大企業のほうが一人あたりの付加価値が数字上は高いように見える。
そして資本主義の原則から考えればそれは当然であり、その部分が批判されるべき内容ではありません。
問題なのは、導入検討側のコストの視点から、導入を見送ってしまいDX化等が遅れることで、時代に取り残される中小企業が後を立たないという点です。
9割以上が中小企業である日本において、産業そのものを支えている大多数の人たちに正しい価値が行き渡らないという点が私の警鐘を鳴らしたい部分です。
上述したとおり、実際の価値の部分であるソフトウェアを製造しているのは最も末端のエンジニアであるということを知っているかそうでないかで戦略の幅も変わってくるのではないでしょうか?
もし、ITソフトウェアやITシステムの導入を考えている場合は、大企業ばかりが本当に良いのか?と一旦立ち止まって考えてみることが必要となります。
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